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長いお別れにむけて

およそ十年ほど前にこの街を訪れたときには、その人波の歩き方も知らなかった。どの電車がどの駅に停まるのか、停まらないのかも知らなかった。わたしは今その街で働いている。人波をそれなりに泳いで(流れを見ればいいだけなのだ)、どの電車に乗るべきかもすぐに分かる。夜の電車で窓ガラスに映った自分の疲れた顔を見て、笑ってしまう。目の下の疲れはどうやったって隠せない。それだけの歳を重ねて、嫌な目に遭って、時々うれしいこともあって、誰かを傷つけて、知らない人間から悪意を投げつけられて、多分わたしも誰かに知らず知らずのうちに(或いはわかっているのに)悪意を渡しながら、家を出て十年近く経ったわたしの顔。なりたくなかった大人になったわたしの顔。なりたくなかった、と言うけれど、予感としてそれはあったのだ。子供のときから、わたしは「なりたくないような人間になるだろう」ということを知っていた。それがその通りになっただけだ。あの頃(とはどこからどこまでを指すのだろう)のわたしが見たらきっとがっかりするだろう、ああやっぱりこうなったんだね、と思うのだろう。でも諦めている。いつでも。



2000年と言ったって、それはもう15年前のことですよ、という話をして、自分の年齢を改めて考えてみて、そしてまた窓ガラスに映った自分を見る。今日も疲れたなあ、と思う。そして明日も明後日も同じ。今までと変わらない。そのなかで自分の好奇心だけが何かを求めてきょろきょろしている。好奇心はわたしを生かすけれど、多分好奇心こそがわたしを殺すのだろう。窓ガラスに映った自分の顔、嫌いな顔、頼りなさそうな顔。わたしを見ている。いつまで続けるんだ、こんなことを。面倒くさいだろう。わたしの面倒くさがりは根っからのものだから。でももうやめるのも面倒くさいなと思い始めている。何をするにせよ必要な力が絶対的に不足している。そしてそれをどうやって補うべきかを知っているのに、また面倒くさがっている。にやっと笑ってみる。窓ガラスの顔もにやっと笑う。ちょっと無理するくらいでちょうどいいと思おうとする。




拍手ありがとうございました。


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