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長いお別れにむけて

春と修羅

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春と修羅

およそ十年ぶりにふるさとの桜をみた。
やはり、足元がぐらつくような、一種の気味悪さを覚える。家族でみた夜桜も、時折降る雨を笑い飛ばして友人とみた桜も。こころが不安になるような、それでいて高揚感を覚えるような。




 今日は「植物学の日」、植物学者牧野富太郎の誕生日である。
わたしは去年の夏まで練馬区に住んでいて、練馬区には牧野富太郎記念館というものがあった(名称はうろ覚えだ)。おそらく越してきて間もないころに、足を運んだ。とにかく暑い日だった。生まれて初めてココイチのカレーを食べたのもその日で、シーフードカレーを食べたのを覚えている。てくてく歩いて、この街にはみどりが多いな、と思いながら、ここにこれから先ずっと棲めたらどれだけ楽しいだろう、と考えた。穏やかでやさしい街。少しだけ時間がゆったりと流れている。でも、きっとそういうことにはならないだろう、そう感じていた。あの頃わたしはいつも「終わりの気配」を嗅ぎ取っていて、何もかもに対して憂鬱を感じていたから。



 記念館には広い庭があり、そこかしこにセミの抜け殻があった。
どこを見ても「生きているみどりいろ」があって、庭全体がひとつのいきもののようであった。むせ返るようなにおい、うだるような暑さ、終わりの気配、そしてわたしは現実に、一年で練馬を去った。今でも、あの日々はむかしわたしが見ていた夢なんじゃないかと思うことがある。けれど、少し前に弟と二人で車で東京に行く機会があって、ちょうど以前住んでいたアパートの前を通りがかった。確かにわたしの住んだ街だった。わたしの住んでいた部屋には、今は誰も住んでいなかった。猫が好んでいた出窓を見ていたら、涙が出た。
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手羽先700
性別:
非公開

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