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長いお別れにむけて

わたしが死んだ朝のこと

銀色の容器のなかに嘔吐をした。なにも食べていないから胃液しか出なかった。布団を掛けられて、少し休んでくださいね、と言われ、色々なものを色々な場所へしまっていく色々な人たちをぼんやりと眺めていた。



死んでからはじめて食べたのはおにぎりで、『千と千尋の神隠し』の千尋みたいになりながら、食べた。それから、誰もいなくなったその場所から、逃げ出すように外へ出た。地獄の門のような音を立てて自動ドアが開いた。だけど誰も追ってはこなかった。



帰り道はとてもよく晴れていて、陽射しがなんとも気持ちよかった。踏切の手前で茶色いかまきりを見つけた。わたしは、かまきりがいる、と隣を歩いている人に告げた。ほら、かまきりが。その人がそのときどんなことを言ったのか、まったく思い出すことが出来ない。なのに、かまきりの色や大きさや、かまきりがいたコンクリートのことなんかは、細かいところまで思い出すことができるのだ。焼き付けられた写真のように。



家に近づく頃、蝶が目の前を横切っていった。ちょうちょだ、とわたしは告げた。彼はそのときなんて言ったのだろう? 彼はどんな顔をしていたのだろう? 何かわたしに言ったはずなのにそれを思い出すことが出来ない。だけど、ちょうちょだ、とわたしが言って、それに彼が何かを答えて、そこでやっとわたしは自分が死んだことを自覚した、というのはよく覚えている。わたしは、死んだのだ、さっき、あの朝、今ここにいるわたしは、嘔吐をしたわたしは、もう生きてはいない!



布団を干そう、と彼が言って、わたしは死んでもなお生活が続いていく、ということに気がついた。あの朝わたしは確かに死んだのだ。それなのにわたしの生活はまだ続いている。今も、続いている。あの日銀色の容器に吐き出したものの色が、まだ鮮やかに焼き付いている。夢にみるほどに。



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